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2004年12月14日
暑い夏も終盤に入り、朝夕は少し涼しく感じられる様になりました。
アリウムの柄が完成し、タイトルは『草月』
生け花の草月流から思いつきました。
草月流とは、型を生けることを目的とせず、自分の気持ちを植物に託し、
自在にかたちを創るもの。個性豊かで、自由な発想による創造行為だといいます。
加賀友禅も、そして今回の私の作品も、生け花でいうなら草月流といった
ところだと思います。
小学校五年生の頃、近所に草月流の先生が越して来られました。
一人っ子だった私は、親の期待を一身に受け、ピアノ、そろばん、絵画、
それに勉強塾と習っていたのですが、全部挫折しています。
もともと母に言われ、仕方なしに習っていたのですが、そのうち、
嘘をついてさぼるようになりました。
それがバレた時は大変でした。
でも生け花は、自分から母に頼み「絶対頑張るから!」と言って、
習わせてもらいました。高校三年生まで習っていました。
先生は、婚約者が、戦死されたとのことで、ずっと独身で、一人暮らしを
されていました。
お稽古が終わった後、お茶とお菓子でもてなして頂き、いつも私の話しを
聞いて下さいました。というか、とても聞き上手な先生でした。
今日は、おとなしく帰ろうと思っていても、
「京ちゃんの話はいつも楽しいねぇ」と言って下さるので、お調子者の私は、
親にも話さないようなことを、いっぱい話してしまうのです。
そして、たかが子供の話を真剣に聞き、一人の人として対話をして下さいました。
何をやっても続かなかったのに、生け花だけは、毎週楽しみに通っていました。
きっと先生が好きだったからだと思います。
そして、いろいろなお花の名前を、いっぱい覚えたのもその頃です。
先生はお琴の免許も持っていらっしゃるので、私も教えて頂くことにしました。
でも、一年くらいして、高校三年生になった頃に、庭付きで、一戸建ての
良い物件が見つかったとのことで引っ越されました。
「家が片付いて、落ち着いたら遊びに来てね。」と言われ、
「はい、必ず行きます。」
と言ったのに一度も先生の家を訪ねることはありませんでした。
先生は、私の母より、二つ三つ年下だったと思います。今もお元気で
いらっしゃるでしょうか?
何故か私がモチーフとして、素材にするものは、思い出にまつわるものが、
多いのです。
今、製作中の、松虫草もそうです。二十二歳の頃、同じ友禅工房で学ぶ
仲間達と清里高原へ遊びに行き、そこで初めて、松虫草の存在を知ったのです。
あの頃、山が好きで、よく行きました。
そんな事を考えていた矢先に、先輩の先生達から、白山登山のお誘いを受けま
した。三十年振りの登山です。八月九日、十日と白山に登って来ました。
ところが、もう下山間際に転んでしまい、左手首にひびが入ってしまいました。
今はギブスをしています。でも左手なので大丈夫です。少し不便ですが、仕事も
できますし車の運転もできます。家事は、少し甘えて、娘に頼っています。
次回のレターを書く頃には、完治していると思います。
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